自分で考えて自分で判断していきたい -talk about tatoo-
※全て個人の見解です。誰にとってもそうであるわけではなく、決して考えを押し付けるものでもありません。
未だに残る「タトゥー=悪いもの」という固定概念
Tattoo を日本語に翻訳すると「刺青」になる。
刺青と聞いて背中いっぱいに描かれた般若や桜、路地裏にいそうな怖そうな人などを思い出す人も少なくないはず。
でもそれらはタトゥーの持つイメージのある1面でしかない。
しかしその印象だけで「悪いもの」という判断をするひとは案外多い。
忙しい、興味ない、いろんな理由で本質的な部分を見ようとせず、深く考えずに判断するのだろう。
日本以外の文化に触れる機会が多いひとにとっては、タトゥーはもっと身近かもしれない。
最近ではワンポイントでシンプルなもの等デザインの幅はとても広く豊かで、
ファッションで気軽に入れたり、ひとつひとつのタトゥーに深い意味を込めて入れるひとなど理由もさまざまだ。
「タトゥー=悪いもの」という印象はたいていTVや世論等、他人から与えられた漠然とした印象や思想によって生まていて、
自分で調べて考えて判断したひとは多くないんじゃないかと思う。
似たようなことは、タトゥーに限らずたくさんある。
話題になったKutoo運動やブラック校則などの、理由が明言できない謎のルールたちも方向性が違うにしても本質の問題は似ているように思う。
時代は移り変わり、価値観もどんどん変化している、そんななかではるか昔の価値観で判断されたものが、いまだあるのが現状だ。
タトゥーが「考える」きっかけにならないか
私は、タトゥーが「あらゆる物事についてきちんと自分なりに思考して判断をしただろうか?」と考えるきかっけになるんじゃないかと思った。
もしタトゥーを見て不快な反応をされたら、それは漠然としたイメージではないですか?自分で考えたことを元に判断しましたか?という話をするきっかけになるかもしれない。(実際両親といろいろ話すきっかけになった。)
その判断に至った経緯から相手の考えをきっかけに、気軽な会話ではなかなか踏み込めない相手の価値観や思考に触れられるかもしれない、という可能性を感じたのだ。
自分と違う意見のひとを批判したいとか、同じ考えにさせたいとか、そういう相手と付き合うのをやめようということでは決してなくて、そのひとの考えを聞きたい。
自分の考えに従って「悪いこと」であるという結論にいたったのであればそれはそれで大事なことで、他人がジャッジすべきことではない。
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「親からもらった体に〜」という意見には、私は、私の体は私のものだと思っている。と答える。
最初のタトゥーは自分の名前にまつわるものだった。
それを見るたび「私は私である」ことを思い出して少し誇らしい気持ちになる。
小さいころは嫌いだった自分の名前にエンパワメントされる日がくるなんて、素敵なことだな〜と思っている。
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江原由美子さんの「意思とジェンダー」についてのインタビューが興味深かったのでメモ。リベラリズムにおける「自分の身体は自分のもの」の言説とそれと共にある責務について言及してきたフェミニズム…など。
以下インタビュー記事から一部抜粋。
――話を蒸し返しちゃうようですけど、ハビトゥスという考え方からすると、自分の意思というものも社会的に構築されたものなんですよね。
そうなんですよ。
――純粋に、自分の中から出てきたものではない。
そう。でも、だからと言って無視していいわけじゃない。そこが重要なところなんですけど、作られたものだからその意思は嘘だとか、無意味だということにはならない。尊重することがお互いのルールです。ある人が本当だと思ってやっていることを、意思は作られたものだからと言って、他の人が無視することは許されない。
ただ、作られたものかも知れないということを本人が自覚して、自分の意思や感じ方を振り返って反省してみることはできる。それが本当の自由だと思う。そういう自由を誰もが持っている。それを行える環境を確保するのは簡単ではないけど、その責任は私たち一人ひとりにあるんですよね。
2022.4.28 byN
2023.5.11 すこし修正
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